人生の選択、決断をすることの怖さ(その内容と原因)

人生の選択

今、将来の選択に迷っている人はたくさんいると思います。

そしてその悩みの多くは二者択一を迫られているパターンが多いです。一方は「リスクを伴うが自分の直感に沿った生き方」であり、もう一方は「リスクが少なく安定してるが、本当に自分のしたいことではなさそうな生き方」であります。

今回は、同じような生い立ちで、同じような悩みを持っている人のために何かの参考になればと思いこの記事を書いています。正直内容にはまとまりがないかもしれません。というのも、心に出てきた気持ちをそのまま書いていったのがこの記事の元ネタだからです。それでもいいよという方は、ぜひ読んでみてください。なにかしらの気づきの種になるかもしれません。

 

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ワクワクと怖さ

自分は今、迷いに迷っている。いや、迷っているというよりも、怖い。「安定という選択肢」を捨てて、「ワクワクするが、リスクのある選択肢」をとる決断をすることが怖い。

 

ワクワクとは、自分でモノやサービスを創り、それを売ることである。簡単に言えば起業というやつだ。それは、若い自分でも元手が少なくて済むITに関連させる予定で、まずは修行のためにベンチャー企業にに入ろうと考えている。もう一方の選択肢は、まさに「安定」という文字を具現化したような選択肢で、つまり上場企業の総合職である。

 

後者の選択肢は安定のど真ん中をいくものだ。

高級激務で有名だが、東証1部上場企業で、安定性抜群、世間からの評価も高い。自分はそこで働くチャンスをマニュアルに従って生きることで獲得した。

少し自分の生い立ちを説明しようと思う。自分はまず小学3年生のころに姉が中学受験する姿を見て、なんとなく自分も受験しなければと思いこみ、中堅進学校に入学した。高校へはエスカレーターで上り、ここでも私立大学に入る姉の後を追って、四ッ谷にある私立大学に入学。勉強は頑張った。そうすることが求められていることだと思っていたし、何か努力をしていないと怖かったから。大学に入学し、サークル活動もこなして、さあ就活だ、となった。他の一般の日本人大学生がそうであるように、自分も大企業を目指すことにした。なぜなら、就職すること以外に生きる選択肢が頭に入ってこなかったし、ましてや「大学の新卒」という黄金の手札を、最高の(ように見える)成果を出すために使わない手はないと思っていたからだ。そしてネット等で数多くのマニュアルを読みこみながら、いわゆる就活対策をし、無事大手企業に内定をもらった。

 

 

以上述べたように、「みんながそうしているから」とか、「そうしないと心配だから」という理由で、僕と同じようにレールに沿って生きて来た方は多いのではないか。もしかしたらここまで読み進めているということは、あなたも同じような境遇を辿ってきているのかもしれない。

 

しかし僕は正直、この黄金の手札を使って掴んだ「安定」という選択肢をとることに怖さを感じてる。そこで与えられる仕事は、はたして自分が本当にやりたい仕事なのか?その仕事は、世間や他人じゃなくて、自分自身が考えるよりよい人生につながっているのか?確かにその選択肢に進めば、高い給料をもらうことができる。クビだってほぼあり得ないだろう。けど、それじゃあまるで給料と安定を餌に、足かせをつけられているようなものじゃないか!自分で自分の人生の舵取りができない。好きなところで、好きなモノを創れない。自分がしたいことができない可能性が高い。モノを作って、世界に発表して、その反応をもらう。これほどワクワクすることがあるだろうか?そして自分は、安定と引き換えにそのワクワクを犠牲にするのか?

 

ありえない。自分にそんなつもりは絶対にない。ワクワク「しない」人生を生きることの方が、安定を捨てることよりよっぽど怖い。給料といったって、正直自分が食べていけるぐらいの銭が稼げればそれでよい。都内暮らしなら月10〜15万円くらいか。

安定は?少しは欲しい。やっぱりいつまでも頑張るのは疲れてしまうだろうから。けど、安定の選択肢を取ったからといってそれが手に入るという考え方は適切ではない。なぜなら、第一に、その会社が定年までの40年間安泰なんてありえないからだ。第二に、自分が起業する理由に「ずっと頑張らないために」という動機があるからだ。

 

正直に言うと、自分の現状にある程度は満足している。努力はしたし、その成果としてある程度の結果を得ることができたから。しかし、納得はしていない。自分がワクワクすることに挑戦してこなかったからだ。自分で楽しくて本気と思える挑戦を。それが悔しい。何をやってきたんだと自分に対して不甲斐なくなる。今までの人生では、人に期待されることをやってそれが評価されることに幸せの価値を置いていた。けれど、そんな人生を通して僕は以下の式を確信するようになった。

 

挑戦しなかった時の後悔>>>(越えられない壁)>>>挑戦して失敗した時の後悔

 

絶対にこれだ。安定の道を取る限り、ずっとこの公式が頭をもたげることになるだろうと、なんとなく将来が予感できる。それはかなりの確率で起こるだろう。

 

じゃあ何が怖いんだ?

新しい選択肢をとって、果たして夢が達成できるのかが怖い。本当にそれが実現するのか、夢破れて、本当に惨めな気持ちになるのが怖い。でもそれって大事なことか?夢が破れたって、自分が死なない限りは何度だってトライできる。借金を背負う可能性も自分で少なくできる。惨めな気持ちになったからなんだ?そんなのいつだって感じてる。自分はある活動をしているが、挑戦して失敗するときほど、惨めな気持ちはない。打ちのめされて、「ああやっちまった!本当に恥ずかしい!俺って本当に馬鹿だ!」となる。けど次に出てくる言葉はいつもこうだ。「じゃあ次はどうやったら上手くやれるんだろうか?」

 

 

挑戦する姿への憧れ

そんな挑戦する姿勢に憧れているのは誰だ?安定を顧(かえり)みず、独立して自分の世界を確立して生きる人。そんなあっち側の人達になってみたいと恋焦がれているのは誰だ?

 

自分だろ。

自分が憧れてきたんだろう。ずっと。中学の時から?違う。その時期は「やらなくちゃいけないこと」ができなくて、自己嫌悪に陥って、内にこもっていた時期だ(具体的に言えば、体育会系の部活をつづけられなかったということです)。

じゃあいつからそんな憧れを抱くようになったのか。ハッキリと思い出せるのは、高校1年生の時に情熱大陸というテレビ番組でプロロードレーサー別府史之を観たときだ。あれほどの衝撃はなかった。彼は輝いていた。プロスポーツの世界に身を置き、単身アメリカに渡って楽しそうに挑戦していた。いつか自分もああいうふうになりたいと思った。

 

もちろん、「あっち側」に行くには怖さがある。けどその怖さは「本物の」怖さじゃない。本物の怖さは、究極を言えば死ぬことだけだ。自分がのたれ死ぬほどの失敗をすることだ。でもそんな失敗ってありえるか?ありえない。プログラミングができれば食い扶持にはまず困らないはずだし、いつだって食べていくくらいのお金を稼ぐほどの働き口はあるはずだ。最悪、日本には生活保護という制度だってある。

 

しかし自分ももう23歳だ。1991年生まれの中、92年、93年生まれの起業家たちがとりだたされていることに出遅れた感を感じる。しかも、30歳くらいになれば家庭を持つかもしれないし、そうなるとついに身動きができなくなる。決断は早いほうがいい。

 

 

今までのどんな努力も将来の糧になる

ここまで過去の自分がしてきたことを否定するような口ぶりで書いてきたが、実際はそうではない。今までとは違う選択肢を取ったとしても、それは単にハシゴをかける場所を変えるだけだ。決してハシゴを外すのではない。だって、どんな些細な経験も必ず将来の糧になるのだから。これまでの努力は自分の血となり骨となっている。それを自分が楽しいと思うように生かしてやりたいだけだ。そして、そうするために今決断するというだけである。

 

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最後に

以上のように考えて見ると、自分の意識が向いている方向は一目瞭然のように思えます。あとは自分の「絶対に後悔したくない」という保守的な気持ちから生じる、「怖い」という感情とのせめぎ合いです。決断は3月中にすると思います。正直まだどうなるかはわかりません。しかし、同じような悩みを抱えている方の、なにかしらの役に立てばと思い書かせていただきました。共感や指摘がありましたら、ぜひコメントください。