激務サラリーマン脱出物語

20代激務サラリーマンが資本主義での勝ち方を実践・紹介するブログ

激務サラリーマン脱出物語

有給休暇を全て消化しないことは、消化しなかった日数分タダ働きをしていることと同意である。

この記事の結論は題名の通りなので、以下はその理由を述べていきます。

 

有給休暇取得の義務化

みなさんも、会社から有給休暇を毎年10ー20日分もらっていると思います。

最近の大企業なんかでは、厚労省からの「働き方改革」の旗振りの下、「○○%以上の有給休暇消化の義務化」が実施されていたりします。数年前までは有給休暇の消化なんて夢のまた夢だったらしいので、随分と恵まれてますよね。

しかし本当のことを言えば、現状は「恵まれている」どころか、「やっと労働者が自らの労働力を適正価格で売り出した。」に過ぎないのです。

 

 

会社は労働者の給料をどう計算しているか

会社は、あなたが有給休暇を全消化する前提であなたのサラリーを決めています。

たとえば、あなたの会社が年間の休日日数を115日(厚労省発表の労働者一人当たりの平均休日)と定めているとします。この休日日数とやらには有給休暇分は含まれません。なので、例えば有給休暇が20日付与される方であれば、年間休日日数は115+20=135日となります。

会社はあなたが135日休む前提で、あなたの給料を決めています。つまり、365-135=230日分の給料を、あなたに支払っているのです。

 

 

有給休暇を全消化しないとどうなるか?

会社はあなたに230日分の給料しか払いません。あなたが有給休暇を一切消化せず、20日余計に働き、結果として年間250日働いたとします。

その場合でも、会社から「よく頑張ったね!じゃあ250日分のお小遣いあげる!」とはなりません。230日分以上の給料は、ビタ一文払いません。もしもらったことがある人がいたら教えて欲しいくらいです。(有給休暇を買い取る企業もあるそうですが、一般的でないと思うので省きます。)

つまり、有給休暇を消化しなかった日数分、あなたはタダ働きをしているということになるのです。そしてこのことは、数年前の日本企業においては当たり前のことだったのです。

 

なんで有給休暇消化が推進されていなかったか。

簡単です。会社が労働力をタダで買い叩くことができたからです。会社様にとって、こんなウマい話はありません。

想像してみてください。あなたが従業員1000人の会社のオーナー社長だとします。その1000人全員が、年間20日も「無給で」、「文句も言わずに」、「余分に」働いてくれるとしたら?

一人日給1万円として、1万円×1,000人×20日=2億円もの労働力を、毎年タダで買うことができます。日給が2万だとしたら4億円。もちろん人数が増えれば、それだけ経営者にとっては「お得」になるわけです。余ったお金で新しい投資を行えるし、私腹を肥やすことだってできます。こんな美味い話、一体誰が捨てるでしょうか?

 

 

日本の労働者はなぜ有給休暇取得を消化しなかったか。

日本は有給休暇の消化率が先進国の中でも最低レベルだということは皆さんもご存知のことかと思います。なぜか?私が自分の会社で感じる理由を、いくつかあげてみようと思います。

 

1:「長時間労働=会社のために頑張っている」という考え

そもそも、会社と雇用契約書で結んだ時間以上に働くこと自体が私にとってはアホの所業にしか思えません。(残業代がしっかり支払われる場合を除く。もちろん、サビ残=無償労働なんてもってのほかです。)

しかし、とりわけ40代より上の諸先輩方は「長時間労働による自己犠牲=会社に貢献している」という思考回路を地で行っているようにしか見えません。もちろん彼らに、有給休暇を全て消化しようなんていう考えは生まれるはずがありません。

この前も、毎日21時〜22時くらいまで残って仕事をしている若手Aさんに対し、40代の上司が「Aはいつも遅くまで残ってるな!いつも俺はこいつと帰りが同じなんだよ!」と、嬉々とした顔で話していました。

正直、心の中では「この人頭おかしいでしょ。」と思っていました(笑)。今の職業はみなし労働制で、長時間働いても残業代は出ません。それならば、決められた労働時間内に仕事を終わらせ、さっさと帰って自分のスモールビジネスに時間を投資する方がよほど有意義です。なのに所定労働時間以上に働くのなんて、貴重な自分の労働力と時間をタダで売っているようなものです。

 

2:労働者が会社に全依存している

「有給休暇を全て消化できないのはおかしい!こんな会社ふざけてる!」なんて声をあげる日本人はいないでしょう。

そもそも日本人は「雇用主と従業員は対等な関係」という意識が弱いですし、加えて収入の全てを会社様に依存しております。その理由は副業禁止規定にあります。

日本のほぼ全ての企業が就業規定に「副業を禁ずる」と記載しています。(ちなみに法律で副業を禁ずることはありません。ただの会社の「ルール」です。)

その結果、労働者は自分が勤める会社の給料に衣食住の全てを依存せざるを得なくなります。会社は副業を禁ずることで、「サボればクビにして食いっぱぐれるぞ?それが嫌なら、唯一の食い扶持であるうちで一生懸命働け!」と従業員に暗に伝えているのです。

実際、あなたが明日も会社に行く理由はなんですか?なぜ行かないといけないのですか?

なぜなら、行かなければ最悪クビにされ、唯一の食い扶持を失うと思っているからでしょう。そして、あなたやあなたの家族が路頭に迷うからでしょう。(実際は生活保護などのセーフティネットがありますが。)

「明日食べるモノに困りたくない」という恐怖心が、サラリーマンを毎朝会社へ向かわせる大きなモチベーションとなっていることは間違いありません。私はこれが嫌なので、不動産賃貸業などを駆使して会社からの依存脱出を図っているのです。

 

3:仕事以外にやることがない

実際はこれも多いと思います(笑)。やはり40代以降の先輩に多いです。

「休んだって、何をしたらいいかわからない。」とかいってる先輩を見たことがあると思います。まさに仕事人間ですね。

会社にとってこれ以上に使い勝手のいい従業員はいません。会社の仕事以外に何もできないほどに仕事を与えられてきた先輩が、いきなり空白の時間を持ったら、そりゃやりたいことなんて何も思いつかないだろうし、「休みとっても家に居場所がない」となるわけです。

 

 

まとめ

まとめです。日本人は、様々な理由で有給休暇消化率がワーストレベルでした。それも国の主導でやっとこさ変化が見られますが、全消化まではまだまだ時間がかかりそうです。

有給休暇とお給料の関係を知れば、消化しなかった日数分をあなたはタダ働きしている(ご主人様に貴重なあなたの時間と体力と気力をタダで献上している)ことがおわかり頂けたかと思います。

タダ働きはやめましょう。貴重なあなたの時間と体力です。適正価格で会社に売ってやりましょう。そして長時間労働する代わりにさっさと帰って、自分のスモールビジネスに時間と体力と気力を投資していきましょう。

人生の選択、決断をすることの怖さ(その内容と原因)

人生の選択

今、将来の選択に迷っている人はたくさんいると思います。

そしてその悩みの多くは二者択一を迫られているパターンが多いです。一方は「リスクを伴うが自分の直感に沿った生き方」であり、もう一方は「リスクが少なく安定してるが、本当に自分のしたいことではなさそうな生き方」であります。

今回は、同じような生い立ちで、同じような悩みを持っている人のために何かの参考になればと思いこの記事を書いています。正直内容にはまとまりがないかもしれません。というのも、心に出てきた気持ちをそのまま書いていったのがこの記事の元ネタだからです。それでもいいよという方は、ぜひ読んでみてください。なにかしらの気づきの種になるかもしれません。

 

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ワクワクと怖さ

自分は今、迷いに迷っている。いや、迷っているというよりも、怖い。「安定という選択肢」を捨てて、「ワクワクするが、リスクのある選択肢」をとる決断をすることが怖い。

 

ワクワクとは、自分でモノやサービスを創り、それを売ることである。簡単に言えば起業というやつだ。それは、若い自分でも元手が少なくて済むITに関連させる予定で、まずは修行のためにベンチャー企業にに入ろうと考えている。もう一方の選択肢は、まさに「安定」という文字を具現化したような選択肢で、つまり上場企業の総合職である。

 

後者の選択肢は安定のど真ん中をいくものだ。

高級激務で有名だが、東証1部上場企業で、安定性抜群、世間からの評価も高い。自分はそこで働くチャンスをマニュアルに従って生きることで獲得した。

少し自分の生い立ちを説明しようと思う。自分はまず小学3年生のころに姉が中学受験する姿を見て、なんとなく自分も受験しなければと思いこみ、中堅進学校に入学した。高校へはエスカレーターで上り、ここでも有名私立大学に入る姉の後を追って、姉と同じ大学に入学した。

勉強は頑張った。そうすることが求められていることだと思っていたし、何か努力をしていないと怖かったから。自分の自信のなさの裏返しだったと思う。

大学に入学し、サークル活動もこなして、さあ就活だ、となった。他の多くの日本人大学生がそうであるように、自分も大企業を目指すことにした。なぜなら、就職すること以外に生きる選択肢が頭に入ってこなかったし、ましてや「大学の新卒」という黄金の手札を、最高の(ように見える)成果を出すために使わない手はないと思っていたからだ。

そしてネット等で数多くのマニュアルを読みこみながら、いわゆる就活対策をし、無事大手企業に内定をもらった。

 

 

以上述べたように、「みんながそうしているから」とか、「そうしないと心配だから」という理由で、僕と同じようにレールに沿って生きて来た方は多いのではないか。もしかしたらここまで読み進めているということは、あなたも同じような境遇を辿ってきているのかもしれない。

 

しかし僕は正直、この黄金の手札を使って掴んだ「安定」をとることに、怖さを感じてる。

そこで与えられる仕事は、はたして自分が本当にやりたい仕事なのか?その仕事は、世間や他人じゃなくて、自分自身が考えるよりよい人生につながっているのか?

確かにその選択肢に進めば、高い給料をもらうことができる。クビだってほぼあり得ないだろう。けど、それじゃあまるで給料と安定を餌に、足かせをつけられているようなものじゃないか!自分で自分の人生の舵取りができない。好きなところで、好きなモノを創れない。自分がしたいことができない可能性が高い。

モノを作って、世界に発表して、その反応をもらう。これほどワクワクすることがあるだろうか?そして自分は、安定と引き換えにそのワクワクを犠牲にするのか?

 

ありえない。自分にそんなつもりは絶対にない。ワクワク「しない」人生を生きることの方が、安定を捨てることよりよっぽど怖い。

もちろん安定も少しは欲しい。やっぱりいつまでも頑張るのは疲れてしまうだろうから。けど、安定の選択肢を取ったからといってそれが手に入るという考え方は適切ではない。なぜなら、第一に、その会社が定年までの40年間安泰なんてありえないからだ。第二に、自分が起業する理由に「ずっと頑張らないために」という動機があるからだ。

 

正直、現状にはある程度は満足している。努力はしたし、その成果としてある程度の結果を得ることができているから。しかし、納得はしていない。自分がワクワクすることに挑戦してこなかったからだ。自分で楽しくて本気と思える挑戦を。それが悔しい。何をやってきたんだと自分に対して不甲斐なくなる。今までの人生では、人に期待されることをやってそれが評価されることに幸せの価値を置いていた。しかし実際は、

 

挑戦しなかった時の後悔>>>(越えられない壁)>>>挑戦して失敗した時の後悔

 

絶対にこれだ。挑戦しなかった時の後悔は計り知れない。挑戦して「あちゃー、やっちゃった!」と感じた時の後悔より、確実に大きいだろう。安定の道を取る限り、ずっとこの公式が頭をもたげることになるだろうと、なんとなく将来が予感できる。そしてそれは、かなりの確率で起こるだろう。

 

じゃあ何が怖いんだ?

新しい選択肢をとって、果たして夢が達成できるのかが怖い。本当にそれが実現するのか、夢破れて、本当に惨めな気持ちになるのが怖い。

 

でもそれって大事なことか?夢が破れたって、自分が死なない限りは何度だってトライできる。借金を背負う可能性も自分で少なくできる。惨めな気持ちになったからなんだ?

自分はある活動をしているが、挑戦して失敗するときほど、惨めな気持ちはない。打ちのめされて、「ああやっちゃった!本当に恥ずかしい!俺って本当に馬鹿だ!」となる。けど次に出てくる言葉はいつもこうだ。「じゃあ次はどうやったら上手くやれるんだろうか?」

 

 

挑戦する姿への憧れ

安定を顧(かえり)みず、独立して自分の世界を確立して生きる人。そんなあっち側の人達になってみたいと恋焦がれているのは誰だ?挑戦する姿勢に憧れているのは誰だ?

 

自分だろ。

 

自分が憧れてきたんだろう。ずっと。

中学の頃から?違う。

その時期は「やらなくちゃいけないこと」ができなくて、自己嫌悪に陥って、内にこもっていた時期だ(具体的に言えば、体育会系の部活が嫌になり、つづけられなかった)。

じゃあいつからそんな憧れを抱くようになったのか。ハッキリと思い出せるのは、高校1年生の時に情熱大陸というテレビ番組でプロロードレーサー別府史之を観たときだ。あれほどの衝撃はなかった。彼は輝いていた。プロスポーツの世界に身を置き、単身アメリカに渡って楽しそうに挑戦していた。いつか自分もああいうふうになりたいと思った。

 

もちろん、「あっち側」に行くには怖さがある。けどその怖さは「本物の」怖さじゃない。本物の怖さは、究極を言えば死ぬことだけだ。自分がのたれ死ぬほどの失敗をすることだ。でもそんな失敗ってありえるか?ありえない。プログラミングができれば食い扶持にはまず困らないはずだし、いつだって食べていくくらいのお金を稼ぐほどの働き口はあるはずだ。最悪、日本には生活保護という制度だってある。

 

 

今までのどんな努力も将来の糧になる

ここまで過去の自分がしてきたことを否定するような口ぶりで書いてきたが、実際はそうではない。今までとは違う選択肢を取ったとしても、それは単にハシゴをかける場所を変えるだけだ。決してハシゴを外すのではない。

だって、どんな些細な経験も必ず将来の糧になるのだから。これまでの努力は自分の血となり骨となっている。それを自分が楽しいと思うように生かしてやりたいだけだ。そして、そうするために今決断するというだけである。

 

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最後に

以上のように考えて見ると、自分の意識が向いている方向は一目瞭然のように思えます。あとは自分の「絶対に後悔したくない」という保守的な気持ちから生じる、「怖い」という感情とのせめぎ合いです。決断は3月中にすると思います。正直まだどうなるかはわかりません。しかし、同じような悩みを抱えている方の、なにかしらの役に立てばと思い書かせていただきました。共感や指摘がありましたら、ぜひコメントください。

 

 

 

 

人生で迷ったときに自分に問うべきこと

将来の選択に迷った時に自分に問いかけるべき究極の問いは、「自分が今日死ぬと仮定したとき、なにをするか」である。

しかしこの問いはかなり非現実的だし、正直自分が今日死ぬと仮定したらとんでも無いことをやらかしそうである。

 

そこで、より現実的で実用的な問い方がある。それに気がついた本の一文を引用したい。

 

「その人は、"自分が今30歳で同窓会に参加していると想像してごらん"と言いました。"元クラスメートと何について話したいと思う?君が面接を受けた企業の話か、それとも新しい非営利組織の立ち上げに参加する話か?"彼は、どちらを選ぶべきかは言いませんでしたが、こう言いました。"君は自分の心が導く場所へ進むべきなんだよ"と」(『ウォートン・スクールの本当の成功の授業』p348から)

ウォートン・スクールの本当の成功の授業

ウォートン・スクールの本当の成功の授業

 

 

つまり、将来の選択に迷ったときは、「自分が30歳の同窓会に出た時、どんなことを語りたいか?Aという選択肢を進んだ自分か?Bという選択肢を選んだ自分か?」 という問いを自分にしてみるとよい、ということである。今30代の人は40歳の同窓会で、今40代の人は50歳の同窓会で、というように。

そうすることで、あなたは目先の利益だけではなく、自分の信念が向かう方向性も含んだ選択肢をとることができるのではないだろうか。

 

一つのことに重きを置きすぎるな

この記事は、以下のブログに多大なインスピレーションを受けて書いたものである。


自己生産活動のバランスが自己を救う - sametimeme's diary

 

 

今日の結論はこうだ。

「一つのことに重きを置きすぎるな。必ずいくつか、自分の力を発揮できることを持っておこう。そうすることで、何かがうまくいかなかった時に、他の何かが引き上げてくれる助けになるから。」

 

少し話が抽象的であるかもしれない。なので、具体例を使って説明したいと思う。

例えば、あなたは仕事(サラリーマンとしてでも、起業家としてでもなんでもよい)に全てを賭けているとする。それは文字通り、全ての時間を仕事に投入しているという状態である。この人は必ず壁にぶつかることになる。

ものごとというものは、絶対に自分の期待通りになんて進まないものである。これは何年も生きてきたみなさんに、手に取るように実感してもらえるものだと思う。壁に当たること自体は当たり前のことであり、特段問題にすることではない。

 

では、もしあなたが仕事以外に自分が熱中できるものがなかったらどうなるか。おそらく「いつかは」壁を突破するだろう。しかし、長い時間がかかってしまうだろうし、精神状態もままならなくなるだろう。

なぜなら、人間は飽きる動物なので、同じ仕事に取り組み続けられるという人は中々いないし、そうなってくると集中力が続かなくなってくるからだ。もちろん中には、「これが楽しすぎる!いくら失敗しても苦にならない!」という活動を持つ人もいるだろう。もしかしたら、あなたにもそのような状態の時があるのかもしれない。

しかし大体は、そこまで熱中できることはなかなか巡り会えあえないのではないだろうか。

 

ではどうするか。他にも熱中できることを持っておくのだ。それは他の仕事(副業)であってもいいし、音楽でも、スポーツでも、恋愛でもいい。なんでもいい。とりあえず自分が好きな活動をいくつか持っておき、取り組んでおくのだ。

するとどうなるか。ある一つの活動で行き詰まった時に、他の活動に切り替えることができるのだ。そうすると、人間は単純なもので、なぜかそれに新鮮味を感じて集中力を発揮できるのだ。いや、集中力なんていう高尚なものは別に持たなくていい。ただなんとなく「あっ、なんか他のことで行き詰まりを感じてたけど、やっぱ人生楽しいわ」って感じることが大事なのである。

あまりにも一つのことにのめり込んでいると、人生苦しくなってくる。もう自分にはこれ以外ないんじゃないかとさえ思えてくるし、過度に追い込められていってしまうこともある。

 

実は僕自身、今までの人生ではある一つのことに熱中「しようとする」人間であった。中高時代は部活に、大学生時代はサークル活動に、という具合だ。

なぜ「しようとする」と「」が付いているのか。それは、正直熱中しきれなかったからだ。飽きていた。もっと他に自分のやりたいことがあるのに、と思っていた。だけどなぜか、「一つのことをやり通すことが、美徳である」なんていう考えを持っており、なかなか他のことに手を出すことができなかった。

 

今なら言える。それはもったいない。自分が興味を持つものは一つでなくていいし、自分の価値を発揮できる活動は沢山あるはずだ。一つのことをやり通せなんて、誰が決めた?仕事に全ての力を投じろなんて、誰が命令した?

いつだって最終的に自分に強制できるのは、自分だけだ。親でも上司でもない。自分が自分にある種の”制限”をかけているのだ。そんなの、ちゃんちゃらおかしい。あなたはもっと色々な才能を持っているし、もっと色々なことに取り組んでいいのだ。

 

 

話を元に戻す。あなたはいくつか好きな活動をもつことで、ある一つの活動で行き詰まった時に、他の活動に取り組むことができる。そうすることで、常にチャレンジできるし、楽しくなってくる。そしてそのぶん行き詰まりを解消できることも多くなるはずだ。

 

確かに、「行き詰まったらすぐに逃げ出す」というのは良くない。逃げて逃げてを繰り返していたら、いつまでたっても自分の理想には近づけない。でも行き詰まりが原因で自分の足が遅くなるのもよろしくない。「避難経路」を持っておくことも大事である。

 

なので、このエントリーを期に、今まで興味を持っていたあのことにチャレンジしてみようかな!と思った人がいたら、ぜひチャレンジしてみよう。そうやって自分の価値を発揮できる場を、チャレンジできる場を、理想に近づける場を、いくつももっておこう。

睡眠を妨げるスマホを辞める1つの方法

結論から言うと、自分が寝る時、スマホを別の部屋に置くのだ。今夜から、今すぐに、である。

 
あなたは寝る前、スマホをいじっているだろうか?
 
おそらく多くの人が、「充電しながら、イエスだよ」と答えるだろう。そのような人の中で、スマホをずっといじってしまい睡眠の質が下がってしまっている人は多いと思う。
 
自分もまさにその一人で、睡眠系アプリをiPhoneに入れているからという言い訳(?)のもと、いつも睡眠時の枕の隣にはiPhoneが置いてあった。
 
自分の場合、睡眠前の流れは大体はこうだ。
 
23時くらいにその日にやること(ご飯を食べる、風呂に入る、歯を磨く等)がすべて終わる。すると、なんとなく暇な時間ができる。自然とスマホに手が伸び、ネットサーフィンやらが始まる。そうするといつの間にか0時頃になり、そのまま充電しつつスマホをいじりながら布団に入ることになる。
やっと眠くなってきたと思ってスマホを閉じても、スマホの光とネットからの刺激とで活性化した脳はシャットダウンする気配がない。
ついには3時、4時を回り、やっと限界がきて寝るか、そのまま寝られずに過ごすことになる。いずれにしても睡眠の質は最悪で、それは次の日だけでなく、2日後、3日後にも響くことになる。
 
このような体験をあなたもしたことはないだろうか?
 
自分の場合、あまりにも寝つきが悪かったので、上記の通り睡眠系アプリをiPhoneに導入して寝つきをよくするようにしようとした。しかし実際はそれが裏目に出て、ベッドの中でも携帯をいじるという体たらくであった。
 
経験上みなさんもわかると思うが、人間の知識欲、刺激欲は強く、なかなかコントロールすることが難しい。好きな動画はみたいし、見終わっても関連動画が気になる。ためになる記事を読んでいたら、関連記事も気になってタブを量産することになる。
こんなことを繰り返しては、多くの光を自分の目に集め、ますます寝にくい状態を自ら演出することとなってしまう。
 
 
 
では、どうしたらいいか?電源を切る?机の上に放置する?
 
違う。
 
寝る1時間前になったら、スマホを寝る部屋とは全く別の部屋に置いておこう。
 
2部屋以上ある家なら、もう一方の部屋におけば良いし、もし1Kなどなら、トイレの電源を使って充電すればいい。「トイレに置くのはヤダ!」なんて言ってる場合ではない。睡眠は、スマホをトイレに置くことよりも何万倍も大事なことである。もし気になるのであれば、タッパーやジップロックに入れるなどしていくらでも工夫しよう。
 
また、「アラームをスマホにセットしている!」という人は、アマゾンで目覚まし時計を購入しよう。今の時代、様々な機能がついた目覚まし時計でさえ1,000円以内でアマゾンで手に入る。いずれにしよ、寝る場所とスマホの物理的な距離をおくことが、最も効果がある。
 
もしスマホを触りたくなっても、そこは我慢だ。この場合も、すぐ手元で充電している場合と、他の部屋で充電している場合では全くハードルが違うことは容易に想像がつくだろう。
 
あなたも今夜から、寝る1時間前にはスマホを他の部屋に置き、全く触らないようにしよう。そうすれば、良く寝入ることができ、結果として良質な睡眠をとることができるだろう。
 
睡眠は人間のすべての活動の根源である。自分の理想のためには、決してそれをおろそかにしてはいけない。
 
 

自分のビジネスを持つことは、自分の表現の場を持つことだ

人を雇うにしろ、個人事業で展開するにしろ、自分のビジネスを持つことは自分の表現の場を持つことと同意である。

 

その最もたるものが、プログラミングによるものである。

プログラミングを学べば、「こんなサービスがあったらな」という自分のアイデアをほぼ資本なく始めることができる。昔、何かの記事でプログラマの人がそう言っていたのを覚えている。

 

また、プログラミングでなくとも、様々な業種で自分のビジネスを持つことは自分の表現につながる。例えば、飲食だ。

 

僕は先日、飲食店を経営する人に会ってお話を聞いてきた。将来起業をしたいと考えているので、じゃあ実際に経営している人に会ってみようということで会ってみたのだ。

プログラマーが上記のことを言っていたのを覚えていたが、飲食店を営むその方も全く同じことを言っていたので驚いた。

 

「自分の事業を持つことは、自分を表現の場を持つことなんだよ。」

 

と。

 

では、サラリーマン(従業員)だとどうか。

確かにサラリーマンでも、その仕事が自分の表現につながっているのならばよいだろう。しかし、実際はそうはいかない。サラリーマンは必ず上の指示に従わなければならない。いくら「ビジネスは顧客が顧客である」といっても、「サラリーマンは上司が顧客である」という側面がある。サラリーマンとは結局、経営者や株主がしたいことの歯車になっているにすぎない。

 

その歯車を辞め、自分で仕組みを創る作業はものすごく大変である。

すぐにお金を儲けられる保証はないし、くいっぱぐれる可能性だってある。

 

しかし、こんな自由なことはない。もちろんその仕組みに需要がなければいけないが、需要を探る過程だってとてもエキサイティングなものと思える。

 

自分が発想し創りあげたものが、誰かの役に立ち反響をもらえる。

こんなに魂が震える瞬間はない。

 

僕たちはもっと自分を表現しなければならない。

失敗すること、恥をかくことを恐れてはいけない。

 

もっと表現して、他人の反応をもっと肌で感じなければならない。

こんなにエキサイティングなことは、なかなかない。

 

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追記(2015/02/10)

Wantedlyを創業した仲暁子さんも同じようなことを言っていた。

 

時間の切り売りにするかしないかは、結局自分なんですよね。自分が変われば、同じ状況でも、シゴトは面白くなる。
 
もし自分の頭の中で、「定時まであと何分」ってカウントしてる人、「金曜まであと何日だ」ってなってる人は、自分の一度きりの人生を、自らドブに捨ててるようなものです。死ぬことは凄く恐れているくせに、人生を捨てていくことは、じんわり茹で上げられていくカエルが騒がないのと一緒で、気付かないんだと思います。
 
寿命は、減るよりは、増える方が誰しも嬉しいですよね。人生の時間が減ることを願う人なんていない。けど、ティッシュ配りをしていた私は、自分の人生の時間が減ることを強く強く願っていた。
 
時間の切り売りは、勿体無い。自分の作品作り、と思って、作品作りに励むと、自然と面白くなってくるはず。オーナーシップ。それでも面白くない場合は、環境を変えてもいいかもしれない。

 

 引用元


人生の時間を切り売りするということ by 仲 暁子

 

人が犯すリスクには警鐘を鳴らすが、自分が「リスクを犯さない」というリスクを犯していることには、全く気がついていない人

いわゆる日本でいう「レール」から外れるとき、つまり大学をやめたり、サラリーマンを辞めるとき、あらゆる「安定」というものを捨てるとき、必ず人はこう言う。

 

「それって、本気で考えたの?」

「世の中そんなに甘くないよ?」

「なんか夢見てるけど、今のままがいいんじゃない?」

「今まで努力して積み上げてきたのに、もったいない。」

「リスクが大きすぎる。もっと慎重に行ったほうがいいに決まってる。」

 

中には励ましてくれたり、「やってみりゃいいじゃん」っていう人もいるけど、ほとんどの人は表面上に出さなくとも上のような反応を示すと思う。

 

でも、自分はここに明らかな矛盾を感じる。

 

それは、

 

果たして上記のような反応をする人は、今の「レール」に乗っている自分に、同じ疑問を問いかけているのか?

 

ということである。

 

例えば、脱サラして起業したい!という人に、「それって、本気で考えたの?世の中独立して成功するなんて、そんなに甘くないよ?」という人がいるとする(以下レール人間とする)。このレール人間たちが言うことはもっとものように思える。おそらくこの人たちも、心から、その人のことを思って言っているのだろう。

 

しかし、レール人間は自分に対して、「将来の自分を本気で考えたのか?世の中サラリーマンやってれば安定するなんて、そんなに甘くないのではないか?」と、問うたことがあるのだろうか?サラリーマンを辞めて起業するときに悩むのと同じくらい、自分の今の状態を今後保つことに対して悩んだことがあるのか?苦悩したことがあるのか?

 

確かに、日本の社会では(他の国の事例はあまり知らないが)、大学を出て有名企業に就職し、一つの、もしくは様々な会社でキャリアを積んでいくというのが一番安全な道なのだろうと思う。しかし、本気で自分の業務をやっている人ほど、途中で「俺(私)って、このままでいいのかな?」という疑問が湧く。

 

自分は今のままでいいのか。このままずっと雇われの身でいいのか。もっと挑戦して、自分をもっと表現できる場所があるんじゃないか。自分で全てを決断していく、そんな人生があってもいいのではないか。

 

おそらく、バイタリティに溢れた人ほど、このように考えるだろう。

 

しかし、ただ受け身の人生を生きて来た人、言われたことをこなすことに何の疑問を持たずに生きて来た人は、まったく上記のような観念を抱くことはないだろう。だからこそ、みんながやっているように「レール」に乗り、それから外れることに疑問を持たない。「レール」から外れようと考えている人に会えば、「それは危ない!」と警告する。自分の将来の危険性を本気で考えたことがないくせいに(!)、だ。

 

これはおかしくないか。人が犯すリスクに対しては警鐘を鳴らすのに、自分が「リスクを犯さない」というリスクを犯していることには、全く気がついていない。まるで、「現金預金が一番確実だ。だからいかなる投資も考えられない。」と言っているのと同じだ。現金預金のリスクも知らずに、ただそれを盲信して他の選択肢のリスクばかり過大評価する。

 

おそらくそのように考えている人が大多数だし、危ない橋はみんなで渡れば怖くないとでも思っているのだろう。しかし、実際に橋が落ちてからではもう遅い。

 

全ての可能性とリスクを考慮しなければならない。

 

自分の夢を捨てること

自分の生きたい人生を生きないこと

自分の理想を追いかけないこと

 

会社にクビにされること

転職できないこと

劣悪な職場環境を押し付けられること

 

色んなリスクを全てひっくるめて、現状に疑問を持たなければならないと思う。

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